外からはなかなか見えない、大学の博士課程の研究生活の現場のストーリーを発信する新コーナー「博士課程の現場」。大みそかの夜に届いた一本のメール。それは、博士後期課程の大学院生にとって、研究人生の大きな節目となる知らせでした。重い電子系超伝導体の謎に挑み、異分野の仲間とともに困難を乗り越えた研究は、国際誌に掲載されるまでどのような道のりをたどったのでしょうか。(本文、敬称略)
初めての論文査読との対峙
2025年の大みそかの夜。新年まであと3時間足らず。大学院理工学研究科博士後期課程の小泉遼介は、待ちに待っていたメールを受信した。10月に米国物理学会の国際学術誌「Physical Review B」に投稿した論文の査読結果だ。
学術雑誌に投稿した論文が世に出るまでには、いくつもの関門を越えなければならない。まず待ち受けるのは、雑誌編集者による最初の審査だ。掲載を検討する価値があると判断された論文だけが、次の「査読」に進むことができる。査読では、その分野の専門家がデータの妥当性や信頼性、研究の独創性などを厳しくチェックする。不正や偏りを防ぐため、査読は通常複数人で行われ、査読者の名前は著者には明かされない。そして、その評価結果をもとに編集者が論文の採否を決定する。
「査読結果が編集者から届いたら、いきなり僕のところに持ってくるんじゃなくて、まずは自分だけでじっくり向き合ってみてね」。研究室の指導教員で基礎自然科学野教授の横山淳からは、事前にそう釘を刺されていた。人生で初めて受ける論文査読。厳しい査読で知られる雑誌だけに、果たしてどんな指摘をされるのか。ドキドキしながら査読結果を読むうちに、年が変わっていた。
超伝導の謎に迫る―「CeCoIn₅」とニッケル置換
分野は量子物性物理学だ。今回の研究は、「CeCoIn₅(セリウム・コバルト・インジウム)」と呼ばれる重い電子系超伝導体にニッケル(Ni)を加えた際、電気の流れがどう変わるかを詳しく調べたもの。
「超伝導」とは、ある温度以下で電気抵抗がゼロになる現象のことだ。将来的には省エネ技術や量子技術への応用が見込まれているものの、仕組みが分かっていない部分も多い。CeCoIn₅は、電子が通常より重く振る舞う重い電子系超伝導体として知られる。低温では、通常の金属では見られない不思議な電子状態や、量子力学的なゆらぎによる新奇な現象として注目されている「量子臨界現象」を示すことから、「世界中の研究の中心物質で、これだけで500本ぐらい論文が出ている」(横山)という、この分野では代表的な物質である。
小泉は今回、このCeCoIn₅のコバルト(Co)の一部をニッケル(Ni)に置き換えた単結晶試料を作製し、マイナス270℃近い極低温と強い磁場環境における電子の数や振る舞いを、ホール抵抗測定という方法で調べた。その結果、ニッケルへの一部置換が、電子キャリア密度や輸送特性の変化につながることを確認した。
あえて選んだ「本丸」テーマ―挑戦する覚悟
このテーマは、博士前期課程(修士課程)のときに横山から示された研究課題のひとつだった。横山に言わせれば、「他にも簡単にまとめられそうなテーマがあった中で、よりによって一番『本丸』のようなテーマを彼は選んだんですよ」。それなりに時間がかかる上、成功の保証もない。「中途半端に終わったらダメージが大きい」(横山)。しかし小泉は綿密な研究計画を立て、「チャレンジしたい」と宣言した。
「僕の中ではアウトプットできる自信はありました。いくつかの国際学会で発表してもそれなりにリアクションがあり、この内容でまとめられるのではないかという手応えはあったんです」
横山は研究室の学生たちに、海外での学会や国際会議への参加をしばしば案内する。小泉は3年前、韓国の仁川(インチョン)で行われたSCES(強相関電子系に関する国際会議)への参加に立候補した。それが人生初の海外渡航だ。「日本人の学生たちは国際学会に行っても仲間内で固まり、日本語で話したりしていたんだけど、小泉君はちょっと違って、通りかかる外国の研究者に声をかけて積極的に議論するんですよ。その中には著名な人もいてね」と横山は振り返る。その後、小泉はイタリア・ボローニャでのICM(磁性に関する国際会議)やスペイン・ビルバオでのLT(低温物理学に関する国際会議)など国内外で発表を重ね、論文投稿に向けた準備を進めた。
このタフさは、日立第一高等学校の野球部員だった頃に培われたのかもしれない。自ら目標を設定し、そのゴールへ自律的に向かっていく強さが小泉にはあると信じていたからこそ、横山は一歩引いて、一研究者としての小泉の葛藤を見守った。
「『Physical Review』の査読がやさしいわけがない。でも、査読者は著者をやっつけようとしているわけではなく、中立の立場でドライに、ストレートに伝える。大事なことが指摘されているかもしれないので、何を言われてもすべて答えること」。査読を待つ間、横山からそう言われていたから、どんなコメントが来てもある程度の覚悟はできていた。それでも、査読に向き合う孤独な自分に当たる冬の夜風は、冷たい。
最大の指摘「本当にニッケルは入っているのか」
査読者の最も重要な指摘は、小泉たちが作製した単結晶試料に本当にニッケルが含まれているのか、というものだった。CeCoIn₅のコバルトをニッケルに置換する過程は、横山による先行研究を踏まえたもので、理論的な妥当性はあると考えられていたが、実際に結晶中にニッケルが取り込まれているのかを確認したのか、という問いである。
「それは実は不安要素でした。やっぱりそこを突かれたか、と。金属を合成する際、自分では入れているつもりでも、性質上反発し合って、想定していた量が入っていないことは実際にあり得るんです」と小泉は振り返る。
この指摘に応えるためには、結晶中のニッケル量を精密に測定するしかない。しかし外部機関に依頼すれば、多額の費用がかかるうえに明瞭な結果が得られる確証もない。
しかし、小泉の頭にはあるアイデアが浮かんでいた。学部4年生の卒業研究のサポートで、約1年前に同じ理学部の火山現象を研究している長谷川健研究室と共同で実験を行ったことがあり、彼らが岩石の組成分析にICP-MS(誘導結合プラズマ質量分析装置)を用いていたことを覚えていた。自分はその装置の専門家ではなかったものの、「あの装置が使えるのではないか」と思い至ったのだ。
小泉は1か月間査読結果と向き合ったうえで、ICP-MSによる組成分析を含む論文修正の案を横山に伝えた。横山はその時点で初めて査読結果を確認した。「かなりのボリュームでした。ただ、小泉君は気づかなかったかもしれませんが、コメントは決してネガティブなものではなく、『こうしたほうがよいのではないか』という方向性を示しているように読めました」と語る。
1億倍希釈という難題―三人で導いた最適解
小泉が協力を仰いだのは、長谷川研究室のメンバーで同じ博士後期課程1年(当時)の石射一希と小坂日奈子の二人である。
同じ理学系で同学年の研究者であっても、金属の量子物性を扱う物理学と火山現象を研究する地球科学では、同じ「科学」の枠組みに属しながらも研究対象や手法が大きく異なる。そのため、異分野間で日常的な交流はほとんどないという。一方、横山研究室と長谷川研究室の間には、両教員が同時期に北海道大学で学生生活を送っていたという縁もあり、過去に論文共著の実績もあった。
ICP-MSは水戸キャンパス研究設備共用センターに設置されている学内・学外共用設備である。三人はここで詳細な測定計画を立てた。岩石と異なり、金属単体の分析には特有の難しさがある。
石射は「ICP-MSの定量分析を岩石に対して行う際には、各元素の含有割合が良く知られた岩石を基準の物質として実験を行いますが、今回の測定対象となる元素の1つであるインジウムは一般的な岩石中にはほとんど存在しません。そのため基準となる新たな試薬を用意する必要がありました」と説明する。
さらに濃度の問題もあった。ごく微量に含まれる元素の分析が必要な岩石と主要な構成元素を分析したい金属では含有する元素濃度が大きく異なるため、測定可能な範囲に合わせて大幅な希釈が必要だった。「5000万~1億倍程度です」という小坂の言葉には驚かされる。
限られた時間の中で効率的に結果を出すため、三人は濃度の異なる標準液3種類と試料の希釈率3種類を組み合わせ、3×3の9通りで測定する方法にたどり着いた。「どれかにはヒットするはずだと考えました」(小泉)。測定は3日間で行われた。結果は……成功。複数データを統合し、平均値として採用した。三人に安堵の表情が浮かんだ。
これらのデータをもとに修正した論文原稿を3月末にPhysical Review B誌に再投稿。石射、小坂、そして長谷川を共著者に加えた。約1か月半後、無事アクセプトとなった。
次なる目標へ―博士課程でのさらなる挑戦
小泉は、「率直に、よくやり切ったと思います。今回は大洗町にある東北大学の施設とも連携しました。愛着のある茨城で生まれた成果を世界に発信できたことは本当にうれしいです」と語る。
共著者となった石射は「装置のマニュアルを超えた取り組みによって、測定方法の本質をより深く理解できました」と振り返り、小坂も「とてもおもしろく、勉強になりました。貴重な同期なので、今後も機会があればぜひ一緒に研究したいです」と笑顔を見せた。
横山は今回の成果について、「重い電子系超伝導体は非常に複雑で、精密な実験と粘り強い解析が不可欠です。異なる分野の学生たちが協力し、その成果を物性物理学分野の主要国際誌『Physical Review B』で発表できたのは素晴らしい」と称えた。
博士号取得に向けて大きな一歩となる成果。それでも小泉の視線は次を見据える。「まだ論文を書きたいので、実験を続けます。在学中に3本出すのが目標です」―元高校球児らしい爽やかな笑顔で、そう語った。
論文情報
- タイトル:Carrier-doping effect and anomalous transport properties in Ni-doped CeCoIn₅ investigated by Hall resistivity measurements
- 著者:Ryosuke Koizumi, Hayao Fujimoto, Teppei Takahashi, Azumi Yashiro, Haruna Kawakami, Kazuki Ishii, Hinako Kosaka, Takeshi Hasegawa, Yusei Shimizu ほか
- 雑誌名:Physical Review B
- 掲載日:2026年6月9日
- DOI:10.1103/m2rg-symc
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